6. 苦悩編:大人のための絶対音感への道【いまここで“ドの音”出せますか? ド出し練習の壁】

絶対音感への道

苦悩編

立ちはだかる“壁

先生
先生

今日は“ミの音”出してみましょうか?

僕

えっとえっと… ♪みー

最高の条件を備えたmy絶対音感養成楽曲『スーパーマリオ』の発見以降、“大人のための絶対音感”のレッスンは順調に進んでいきました。先生は“ド”の音出しだけでは飽きたらなくなってきたようで、「今日は“ミの音”出してみましょうか?」と、一歩先を見据えた“難問”を出してきたりしました。さすがにそれはまだ気が早いのではと思いつつも、どういうわけか自分でも不思議なくらい正解率はどんどん高くなっていきました。

まだ絶対音感とは言えないまでも、これまで自分には無いと思っていた新しい“音感”というものに対して確かな感触を覚えつつ、レッスン以外のときでも積極的に“ド出し練習”を繰り返し“できる喜び”を噛みしめる日々を楽しんでいました。
最初の“壁”は、すぐそこに、ほんの目の前まで近づいているとも知らずに・・・。

“マリオ”が聞こえてこない!!

ある日、先生に誘われてレッスンの参考になる資料を探すために、一緒に楽器店やCD店に付いて行くことにしました。

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どこの店でだったでしょうか。唐突に先生から「いまここで“ドの音”出せますか?」と、いつものように“音出しクイズ”が出題されました。

先生
先生

いまここで“ドの音”出せますか?

「えっ?ここでやりますか?」突然の出題に慌ててしまったのか、僕の頭のなかは空っぽ。「ちょっと待って‥」といいながら、例のプロセス=“スーパーマリオ(地下)”から始まる一連の作業を始めようとしました。ところがどうしたことでしょう、僕の頭の中にまったく“マリオ”が聞こえてこないのです!!

原因は明白でした。店内に流れている音楽に邪魔されて、頭の中に別の曲をイメージすることができないのです!。

いつものレッスンは、しっかり防音されたレッスンルームで行われます。つまりほとんど“無音状態”です。曲をイメージするのを邪魔するような他の音は一切ありません。しかしここはCD店の中。いくら耳を塞いでも、頭の中に記憶されている“マリオ”の再生を邪魔するのには充分すぎる音量で、最新ヒットソングが流されているのです!。

僕

♪どー

先生
先生

・・・

四苦八苦して、ほのかに思い浮かぶメロディをもとに無理矢理「ドー」と声に出してみました。が、言うまでもなく結果は散々。まったく違う“音”を出してしまっていたようで、先生は悲しげな笑みを浮かべていました。

“旋律”が“旋律”にかき消される!

CD店の一件以来、雑音のある環境での“ド出し練習”を、意識的にするようにしてみました。街中で、立ち寄った店の内で、家にいるときでもテレビを点けっぱなしにして“スーパーマリオ(地下)”をイメージしようと心掛けたのです。しかし、なかなか思うようにいきません。何度やってみても、ついつい耳に入ってくる“旋律”に気が向いてしまうのです。

テレビを点けているときには、ときどき“音楽が流れていない”ことがありますね。そんなときは、ちょっと意識を集中して頭の中の曲を聴こうとすれば、“マリオ”のイメージを引き出すことが、なんとかできます。ところが、CMか何かになって“音楽”が流れ始めた瞬間、テレビから聞こえてくる曲の“旋律”と、頭の中で鳴っているマリオの“旋律”がぶつかってしまい、アッという間にイメージがかき消されてしまいます。

流れている“音楽”の種類によっても、邪魔され具合は違うようで、アップテンポだったり、構成が複雑な曲(最近の曲はみんなそうなんですが‥)が流れていると、すっかり頭の中は空っぽ。お手上げ状態になってしまいます。でも流れているのが単純なメロディーの曲だった場合ならば、再度“マリオ”の旋律を思い浮かべることもできたりします。

ただ、どんなにシンプルな曲であれ“音楽”が流れている状況では、たとえ“マリオ”の旋律がきっちりイメージできたとしても、“ド”だと思って出した音が、間違っているケースが多いらしいのです。いままで無音の状態で思い浮かべたのと同じようにイメージできたと確信して発声しても、どういうわけか間違えている。何故なのか・・・。

曲には曲の“調”がある!

普通(よっぽど変態的な曲でない限り)、曲には“調”があります。ハ長調とかイ短調とかの類です。さらに、それぞれの“調”には、それぞれに合った“音階”があります。 ハ長調は“ド”から始まる長音階であり、イ短調は“ラ”から始まる短音階です。いずれも楽譜に記す際には#も♭も基本的には使いません。ところが世の中には“ソ”から始まる長音階(=ト長調:調号として#が1つ付きます)もあれば、“シ♭”から始まる長音階(=変ロ長調:調号として♭2つ)もある‥。 まぁ、難しい話はいろいろあるようですが、カンタンに言って“ド、ド#、レ、レ#、ミ‥”=黒鍵も含む12の音についてそれぞれ長短音階があるという理解でとりあえずは大丈夫でしょう。

【ハ長調】

【ト長調】

【変ロ長調】

“移動ド”という考え方は、この“調”に合わせて“ドレミ”も移動させてしまうやり方という訳です。(実はこの“移動ド”のほうが、一般的に広く使われています)

ちょっと混乱するかもしれませんが、あえて‥言ってみると、ハ長調の場合の“ド”は“固定ド”でも“移動ド”でも同じ音になります。同様に“ミ”は固定・移動のどちらでも“ミ”になりますし“ソ”もいずれも“ソ”です。しかし例えば、“ト長調”の場合は“固定ド”でいう“ソ”が“移動ド”で言い直すと“ド”となります。“変ロ長調”では“シ♭”が、それぞれ“移動ド”で言い直すと“ド”になってしまうのです。

作曲者の意図であったり演奏上の都合であったり理由はさまざまなようですが、実は曲によってさまざまな“調”が使われています。ときには、同じ曲でもオリジナルとは違う“調”で演奏される場合も多々あります。しかし絶対音感を持たない人がそんな演奏を聞いても“調”の違いが気になることは滅多にないと思います。なぜならば、仮に“調”を変えた:つまり移調されていたとしても、その曲の“旋律”は変わらないのですから。

ちょっとイメージしてみましょう。例えば近所のスーパーで買い物をしていたら、大好きな歌手の最近のヒットソングがカラオケで聞こえてきたとします。“メロディー”を担当しているのは、軽快なサックス・・・あるいはもしもお正月だったら優雅なお琴の音色です(笑)。あなたは、聴き慣れた“旋律”に合わせて、上機嫌で“鼻歌”を唄うこともあるでしょう。

さて、もしもこのカラオケが、なんらかの理由で“移調”されていたとしても“旋律”はそのままですから、“調”が変わっていることに気付かない人も多いと思います。ところが“絶対音感”を持っている人がこの移調バージョンのカラオケを耳にしたらどう思うでしょう。たとえ旋律が同じ曲であったとしても、本来“ド”で演奏されるハズの部分が“ソ”だったり“シ♭”になっていたりするかもしれません。
あくまで想像ですが、絶対音感のある人からすると本来なら“赤い”はずのケチャップが“青”や“緑色”になって出てくるようなものです!場合によっては“別の曲”ほど違って聞こえるかもしれません。

【例:ドレミの歌(ハ長調)】

【例:ドレミの歌(ト長調)】

流れている曲の“調”に乗って?!

曲の構成が単純だと“調”の判別がしやすくなります。というより意識的に“調”を判断しようとしなくても耳が自然に曲の調子に馴染んできます。その曲の“調”が持っている“音階”に素直にハマるような“旋律”は、なんとなく“据わりの良い”感じになり、いかにも自然な印象を与えます。

初めて聴いた曲なのに「どこかで聴いたことのあるような‥」と思ったり、曲の続きを予測できて、なんとなく一緒に歌えちゃったり‥ということってありませんか?。これはその曲の“調”を無意識のうちに判別して、なんとなく“据わりの良い”ところを自然に予測できちゃった!というとこなのでしょう。

この手の曲が流れているときは、比較的容易に“マリオ”の旋律をイメージできます。やはり構成が単純なだけあって、旋律に対しての“邪魔し度合”が低く抑えられるのでしょう。

しかし、問題は“旋律”がイメージしやすいかどうかではありません。ここでの目的は“マリオの旋律”ではなく、あくまで“ド”の音を出すことなのです!。

周りで流れている曲が“ハ長調”であれば、おそらく問題にはならないでしょう。“マリオ”もハ長調ですから、むしろ“ド”を出すには好都合だとさえ言えます(無論、今流れている曲がハ長調かどうかを知るためには“絶対音感”が必要ですが・・・)
しかし、もしもその曲が別の“調”だったとしたらどうでしょう?。聞こえてくる曲の“調”に乗っかって、無意識のうちに“据わりの良い”ところを見つけて、自分でも気付かないうちに“マリオ”の旋律を“移調”してしまうとも限りません。恐ろしいトラップです!。

事実、いろいろ実験した結果、聞こえている曲の“調”を受け継いで、間違った“ドレミ”をイメージしていることが判りました。正確に言えば今聞こえている曲の“調”にあわせて“移動ド”の“ドレミ”を思い浮かべてしまうという状態です。さらに、このような“移調トラップ”にはまってしまうと、曲を止めた後でも、しばらくの間は頭の中がその曲の“調”のまま固定化されてしまい、正しい“ド”を出すことができなくなってしまうことも判りました。

“相対”と“絶対”の壁

さてさて、僕は知らない場所に行くと、ときどき方向感覚が狂ってしまうことがあります。つまり方向音痴です。特に室内に入ってしまうと、無意識に、自分勝手な“東西南北”を設定してしまう癖があるのです。

その大きな要因になるのが“窓の位置”。自分でも気が付かないうちに、窓がある方向を「こっちが“南”」だと勝手に思い込んでしまうのです。たとえ誰かに「本当の“南”はあっちだよ」と教えてもらったとしても、意識的に注意を払い続けないと、いつの間にか、また元の自分勝手な方向感覚に戻ってしまう‥。

ぜんぜん関係のない話のように思ったかもしれませんが、僕は“絶対音感”と“相対音感”の違いとは、実はこの例に近い感覚なのではないかと思うのです。部屋の向きや窓の位置に惑わされず、正確な方向感覚をキープできるか?。周りの環境に左右されず、絶対的な感覚を保ち続けることができるか?!。

「周りで流れている曲の“調”に合わせて、別の曲の旋律を無意識のうちに“移調”していた」という現象は、ある意味では高度に“音楽的”な反応といえます。これはまさしく“相対音感”の世界です!。

ある“曲”を基準として、他の“曲”の“音階”を順応させて、“ド”の音高を移動する。これは、方向感覚の例でいうと「部屋の向きに合わせて、机と椅子の向きを、きっちり整頓している」ような状態だと言えます。“部屋”は自分を取り囲む環境、つまり、周りで流れている“曲”のこと。そして“机と椅子”は、頭で思い浮かべる“マリオ”にあたります。

自分を取り囲む環境に対して、相対的な調和を目指すのであれば、たとえ窓が南向きではなかったとしても、部屋の窓に向けて机を配置すれば良いでしょう。しかしそうではなく、絶対的な“南向き”を目指すとしたらどうでしょう?。この場合は、部屋の向きや窓の位置は全く無視しなければならないでしょう。たとえどんな向きの部屋であっても、机と椅子を(なんなら方位磁針でも用意して)“南向き”に並べないといけないのです。部屋によっては、とても違和感のある配置になってしまうこともあるでしょう。

例え話で恐縮ですが、これこそまさに“絶対音感”と“相対音感”の間に立ちはだかる“壁”というわけですね。こんな例えで考えてみれば、絶対音感をもっている人がどうしても気になってしまうという音とズレに対する違和感もなんとなく理解できるような気がしてきます。机がちょっとだけ曲がっていたり、家具ががちゃがちゃに配置されているのは確かに気持ちいいモノではありません。(とかいいながら自分の部屋を見回してテンションさがってます・・・)

このコンテンツは2002年〜2006年にかけて執筆されたものを一部内容を変更・修正して投稿しています。
この記事の内容はすべて筆者の経験を元にした個人的な意見・見解です。